A VIDA EM ROSA

日本文化とポルトガル語を愛する私の部屋。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

グラントリノ

さて、暮れの激務によって疲れはてた体をゆっくり癒す暇もなく元旦から働きづめの可愛そうな私。
結局どこにも出かける時間などないので、せめてもの娯楽に久々にレンタル店にて映画を借りて観たのです。

今回借りたのがこれ、グラントリノ!



私はあまり映画通ではないので、この映画も少し前に話題になったのを知っていた位でして、どんな映画なのかも殆ど知らずに気まぐれで観たのです。
しかし、観た感想。
ズバリ名作です!
この映画の印象は「現代のアメリカに取り残された古き良きアメリカ」という所でしょうか?(あくまで私の受けた印象です、ハイ)

何せ主人公の名がコワルスキー。いかにもスラブ系といった感じの元フォードの組み立て工。
今は迂遠になっている息子がトヨタの営業マンという皮肉な設定がまず面白い!
自動車組み立て工などというと、日本ではさほどリッチなイメージを持たない職業だが、かつてのアメリカでは違う。
先日のGM倒産の要因が元従業員のレガシーコストにあった事からも分かるように、アメリカの自動車組み立て工は日本より遙かに高給で、手厚い福利厚生に恵まれた豊かな職業だったのだ。

さて、既に妻には先立たれ、後は悠々自適な余生を過ごす事を目論んでいたコワルスキーであるが、ある日隣に突然引っ越してきたモン族の一家によってその目論みは些かの修正を受ける羽目になる。
言わずもがなではあるが、この映画の監督兼主人公のクリントイーストウッドは共和党リバータリアン。
ダーティハリーのイメージを地で行く彼の思想は徹底した個人主義であり、かつ自分の身は自分で守る!というポリシーはこの映画でも随所に表現されている。

伝統的頑固保守親父達の多くがそうであるように、この映画の主人公コワルスキーも人種差別主義者であることを隠そうとはしない。
街へ出かければめっきり白人層の姿が減り、目につくのはスパニッシュ系、黒人、アジア系人種ばかり。
久しぶりにかかりつけの病院へ訪ねると、以前の主治医はすでに病院を退職し、新しく赴任してきた医師は若い中国人。
すっかり変わってしまったこの国の様子に彼はことある毎に愚痴をこぼすのであった。

そんな彼であるから、隣に越してきたモン族の家族達にも当初からあからさまに嫌な態度をとり続けるのであるが、その後不本意ながらも巻き込まれる様々な騒動を経て、彼らとの間に不思議な友情が芽生えていく.....
彼らと共に過ごすにつれて、自分の遺産にしか興味のない身内よりもそれまで毛嫌いしていたモン族達の方がずっと大切な存在になっていく描写は、嫌みやわざとらしさがなく、自然に感情移入出来る。
こういった演習はイーストウッドの以前の監督作「ミリオンダラーベイビー」でも感じたが、本当見事!の一言。
やがて、大きなトラブルへと巻き込まれるモン族の少年とその家族を救うべく、単身で武装し悪党の元へとはせ参じる姿は正にダーティー・ハリーの復活!といった所だ。
しかし......かつてのダーティー・ハリーのように悪党共を撃ち殺して一件落着、という結末を期待してはいけない。
主人公コワルスキーの闘い方はハリーとは全く違った方法をとるのだ。
戦う方法は一つではない。ハリーの闘う目的が悪を抹消する!点にあったのに対し、コワルスキーのそれはあくまで奇妙な「友人」を守る為であった。

ラストシーンで彼の愛車グラン・トリノが走るシーンは、やはり「ミリオンダラー・ベイビー」でイーストウッドが一人でレモンパイを食べるシーンと重なりなんとも切ない。
保守の人というのは、結局「想い出を引きずる人」なのではないか?
変わっていくことがまるで過去の記憶を消されてしまうことのように思えるのかもしれない。
だからこそチョイスできる物をあえて最小限にし、一度選んだ物には最後まで責任を持ち大切にする。
少なくとも主人公コワルスキーはそんな男である。
スポンサーサイト

ロッキー・ザ・ファイナル.....メモリアル

今更この映画の感想書いている人間はおそらく私だけでしょうね。
でも、この映画には私にとって人生の大切なヒントが沢山あるのですよ。

DSCN0793.jpg
まずは、今は亡きエイドリアンとかつて過ごした想い出の場所を義兄ポーリーと共に訪れるシーン。
彼女と過ごしたあの日々をポーリーに語りつづけるロッキー。
ポーリーは言う、、「過去なんか忘れちまえ!過去なんてろくなもんじゃない!!」
確かにポーリーにとってはそうなのだろう。
しかし、ロッキーには過去も現在もないのだ。
その時を真剣に生き、誰かを本気で愛した者だけに神は時の流れを止めるのだから......
エイドリアンは彼にとって永遠であるが故に彼女を失った辛さも消える事がない。
しかし、私は思うのだ。
情熱さえ忘れなければ何時の日かその心に再び光が差す。
人生を諦めないとはつまりそういうことだ。


DSCN0806.jpg
ボクサーとして再起を決意したロッキーだが案の定コミッショナーは許可を出さない。
理由は人道的見地つまりは「年齢」だ。
「自ら戦い欲しい物を得ようとする人間を邪魔する権利は誰にも無いはずだ......夢を追い続ける権利が人に認められているんだったら、そいつの心意気を尊重し励ますのが仕事だろう」
心が震えるセリフだ。
誰もが若者に対しては偉そうに夢を持てと言う。
しかし、ある程度歳を重ねた人に対してはだれもそんなことは言わない。
夢を追うことに適齢期なんてない筈なのに.....


DSCN0810.jpg
個人的に一番好きな場面。
それまで控えめな態度に徹していたリトル・マリーがロッキーを勇気づける場面だ。
いい女とは男を良い意味で奮い立たせてくれる女の事だ。
男っていうのは皆小心者だからいつだって迷いを持っている。
「あなたが心から闘うことを望んでいて、また、闘うべき試合なら闘いなさい」
「闘うのがボクサー!」

この辺りから彼女はロッキーにとってかけがえのない存在へと変わっていく。
失ってしまった人を取り戻すことはかなわない。
しかし、ひたむきに努力を続ける魅力的な人間を誰かが放ってはおかない。
愛は一つのものではないのだから......


DSCN0813.jpg
このシーンも本当に素晴らしい!
一流企業に就職しながらも空虚な毎日を送る息子ロバート。
再びリングに上がる決意をした偉大な父をなじる息子に対しロッキーはこう諭すのだ。
「お前は期待通りに育ってくれた......だがそのうちどこかでお前は変わってしまった。人に面と向かって馬鹿にされても平気な人間に成り下がった。困難にぶつかる度に自分のふがいなさを父さんの影のせいにした。だが、お前にも分かっている筈だ.......」
「世の中はバラ色ばかりじゃない。人生はどんなパンチよりも重くお前を打ちのめす。だがどんなに打ちのめされようと休まず前に進み続けろ!ひたすら苦痛に耐え続けるんだ!その先に勝利がある!..........自分を信じて生きろ、でなきゃ人生でなくなる....」


DSCN0827.jpg
試合前日の夜、ロッキーの元にエイドリアンの写真を届けるマリー。
「心だけは歳を取らない事を証明してみせて。あなたならできる。」
ここで世の男性諸君に言っておきましょう。
女性からキスをしたくなるような男になりなさい!

DSCN0834.jpg
ボクシングのリング上は人生の縮図だ。
高揚感と苦痛の繰り返し。そして後者の時間の方が圧倒的に長い。
立ち上がってもまた苦痛が再び訪れる。
しかし、それでも......Get up!

DSCN0841.jpg
ついに最終ラウンドまで闘い抜いたロッキー!
正直、この映画を熱く語る度に人から馬鹿にされる私なのですが(汗)、私に言わせればこのシーンを観て胸があつくならないような男は男じゃない!のです。
試合結果の判定を待たずにロッキーはリングを去っていきます。
「帰ろうぜ!」
そう、彼には勝ち負けなどどうでも良いのです。
本当カッコイイ!!!!!!!

DSCN0845.jpg


私は時々人間というものがとても愚かに感じる瞬間があります。
例えば時間...........
我々はどうしてもこうもこんなつまらないものに縛られているのでしょうか?
たかが数十年という宇宙の中ではほんの一瞬に過ぎない時間の経過で一体人間の何が変わるというのでしょうか?
私も結構な年齢になったせいか最近人から色々諭される事があります。
しかし、なぜ年齢ごときで自らの理想を失い妥協を甘受しなければならないのでしょうか?
才能を言い訳にして、環境を言い訳にして、そして年齢を言い訳にして努力を怠る人間から私が学ぶものは何もないのです。

ふぅ~今夜は熱く語りすぎたカカセオでした^^

 | HOME | 

プロフィール

カカセオ

Author:カカセオ
年齢・性別不詳。
使用する言語は日本語・ポルトガル語。
「美しい人生とは?」を常に追い求めています........
歴史の話、語学の話が大好きです。

銀河英雄伝説名言録



present by 田中芳樹:徳間書店「銀河英雄伝説」

FC2ブログランキング

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。