A VIDA EM ROSA

日本文化とポルトガル語を愛する私の部屋。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ハプスブルク 1

不覚にも今年になるまで全く知らなかったのですが、今京都でハプスブルク展を開催しているみたいでしかも昨年末まで東京で開催していたそうではないですか! 
http://www.habsburgs.jp/

確かにハプスブルク関連のネット情報を検索してみるとこの話題で盛り上がっているようです。
考えてみれば周りにハプスブルクに興味のある友人・知人など一人もいないし、新聞も読まずテレビも観ない、おまけにネットもここ数ヶ月殆どやっていなかったし.....まあこのようなライフスタイルが災いしたのですね。
京都会場の方は3月中旬までは開催しているそうなのでなんとか時間を作って、とも思うのですが、京都かあ....無理だろうなあ.....
しかし、私の大好きなマリアテレジアの肖像画も展示されているのかあ(少女時代の有名な肖像画だけど、あの可愛らしさは本当にヤバイです).....見たいなあ....
ベラスケスの絵も2枚来ているみたいだし、シシィ(エリザベート)の肖像画もあるのか....ああ、行きたい!

このハプスブルク展では、最近売れっ子の中野京子さんもタッチしているみたいですが、彼女の代表作(ですよね?)怖い絵
怖い絵怖い絵
(2007/07/18)
中野 京子

商品詳細を見る
は書店で見かける度に気になっているものの未だに読んだ事がないのです。

まあそんなわけで早速彼女の著作ハプスブルク12の物語を読んでみましたが、
名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)
(2008/08/12)
中野 京子

商品詳細を見る
これは素晴らしい本でした!
歴史関連の書籍というのはとかく退屈になりがちで、恰好の睡眠導入剤にしかならないものが多いですが、この本はとても読みやすくてしかも内容が濃いのです。
特にベラスケスの最高傑作「ラス・メニーナス」を解説する章では、スペイン・ハプスブルクの終焉をたった数枚の絵を使うだけで見事に説明しつくているのです。

ただし、残念な部分が一つありました。
「フリードリヒ大王のフルート・コンサート」という章で、フリードリヒ2世について解説している所が一部間違っています!
同書の134頁にこう書かれています
「....大王は純粋な科学的探求と称して、生身の人間を使った実験をいろいろしており、とりわけ残酷なのは捨て子を使ったもの。赤ん坊にミルクだけを与え、一切の肉体的接触を禁じるとどうなるかを試した。赤子は次々みんな死んでしまい....」
このエピソードは明らかに別人についてのものです!
実は、歴史上フリードリヒ2世という名の人物は二人おり、上記エピソードは同じフリードリヒ2世でも13世紀の神聖ローマ皇帝についてのものです!
この章に登場するフリードリヒ大王は18世紀のプロイセン王ですから全く別の人物なのですね。

誰にでも勘違いはあると思いますからあまり目くじらは立てるつもりはありませんが、この本は相当売れているみたいですから多くの読者が間違った知識を持ってしまうのもどうかと思い書かせていただきました。

ともあれ、久しぶりにハプスブルクに興味が再燃してきました。
まだまだ沢山書きたい事があるので続きはまた後日....

フェルマーの最終定理

 「nが3以上の整数であるとき、Xn+Yn=Znを満たす整数XYZは存在しない」
 17世紀フランスの法律家ピエール・ド・フェルマーによって問いかけられたこの予測は英国生まれの数学者アンドリュー・ワイルズによって1995年に証明された...


 歴史的史実としてはたったこれだけで終わってしまう出来事であるが、この史実の背景には語り尽くせない多くの偉大なる数学者達の活躍がある。というわけで、今日は私カカセオ一押しの一冊をご紹介!

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
(2006/05)
サイモン シン

商品詳細を見る


 事の発端はピュタゴラスによる三平方の定理、つまり全ての直角三角形につきX2+Y2=Z2(Zが斜辺)という関係が成り立つとするかの有名な公式に行き着くのであるが、乗数が2の場合にはここでのXYZに該当する整数は無数にあるのに対し、3以上にした途端にゼロになってしまうのだ。
 この奇妙な事実こそが法律家を本業としながら趣味の数論を楽しみ尽くした天才=フェルマーが世に問うた、その後350年にわたりあまたの数学者の証明を拒み続けた「フェルマーの最終定理」と呼ばれた悪魔の証明課題だったのだ。

 数学的証明の真価はその絶対性にある。例えば裁判における証明はもとより科学的証明でさえ「合理的な疑問にすべて答えられる」だけの証拠をもって十分とされる。これに対し、数学的証明においては常に100%の証拠を要求されるのだ。それゆえに数学的証明は一度証明されてしまうと後世で覆る事がない。
 しかし、これはそれだけ数学的証明が難しいという事をも意味している。特にフェルマーの最終定理に関しては「文明はフェルマーの最終定理が解かれる前に滅びるだろう」(E.T.ベル)とまで評されたのである。後世の数学者達をあざ笑うかのようにフェルマーはこんなメモを書き残していた。
 「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことは出来ない」

 さて、難攻不落の城フェルマーの最終定理に最初に肉薄した人物がレオンハルト・オイラーであった。18世紀最高の数学者と称されるこの大天才はXn+Yn=Znにおけるnが3の場合に解が存在しないことを証明した。
 生前フェルマーはnが4の場合について解がないことの証明については書き記していた。
 オイラーはその証明をヒントにnが3の場合の証明を成し遂げたのであるが、これはnが4の場合よりも遙かに難しくまた重要なものであった。
 それは3が素数だからだ。素数はあらゆる数の原子とも呼べるものであり、素数以外の数は全て素数を掛け合わせて作る事が出来るのであるから、フェルマーの最終定理におけるnも結局は素数の場合だけを証明すれば足りることになる。
 しかし、一筋の光明が差したかにも思えるオイラーの証明であるが、実はそう甘くはなかった。なぜなら、素数も無限に存在するものだからだ。無限に存在するものにいくら絞りをかけても有限にはなり得ない。

 時代はさらに進み、フェルマーの最終定理を巡る物語は更なる暗黒期を向かえていく。
 女性蔑視の強い当時のフランスにおいて差別と闘いながらも「数学者の王」カール・フリードリヒ・ガウスという知己を得たソフィー・ジェルマンの活躍が切っ掛けとなり、それぞれ異なる学者によってその後n=5、n=7の場合にも解のないことを証明され、さらにはガブリエル・ラメ、オーギュスタン・ルイ・コーシーの両者がフェルマー最終定理に対する完全な証明を予告した。
 しかしながらそうした期待もエルンスト・クンマーによって全てひっくり返されてしまう。
 さらに追い打ちをかけたのがあのクルト・ゲーデルの不完全性定理である。ゲーデルは、完全で矛盾のない数学体系をつくるのは不可能であることを証明し、たとえ公理を使っても数学には証明することの出来ない問題が存在することを示したのだ。すなわちこれは、例えフェルマーの最終定理が真理だったとしても、それを証明する方法があるとは限らないという非情な現実を突きつけられた事を意味していた。

 さて、そろそろ主人公アンドリュー・ワイルズに登場していただこう。
 数学好きだった少年アンドリュー・ワイルズは10歳の時図書館である一冊の本に出会った。その本に書かれた不思議な公式は瞬く間にこの天才少年を虜にしてしまったのである。その公式は10歳の彼でも理解出来るほど単純なものなのに300年以上誰一人解く事が出来ないでいるという。この「フェルマー予想」に出会った彼の人生は以後それを解くことのみに向けられていくのである。
 やがてケンブリッジの大学院生となったワイルズであるが、彼はここで一旦フェルマー問題からは距離を置く羽目になる。なにせ百戦錬磨の学者達が束になって取りかかっても全く歯の立たないフェルマー予想である。いかにワイルズが天才とはいえ一院生に過ぎない彼がいきなりフェルマー予想にとり取り組む事は無謀以外の何者でもなかったのである。
 彼の指導教官は楕円曲線論というフェルマー予想とは何の関係もないテーマを彼に与え、ワイルズはしばしの間その研究に没頭するのである。ところが、運命とは面白いもので、この楕円曲線論こそがフェルマー予想の証明という偉業達成に多大なる貢献をすることになるのである。

 ここで、二人の日本人数学者が関係してくる。志村五郎と谷山豊である。
 1955年、未だ第二次大戦の後遺症に苦しむ日本の数学界で、若手の研究者たちが中心となった初の国際シンポジウムが開催された。世界の一流学者達を相手に日本の若手数学者達は、その多くのテーマがやや流行遅れのものでありながらも賢明に各自の研究成果をつたない英語で発表したのである。
 だが、そのなかで谷山が提示した仮説は世界中の数学者達を驚かせるものであった。それは従来全く別分野のものとして考えられていた「楕円曲線とモジュラー形式とが同一ではないか?」とするアイデアであったのだ。
 どの分野の学者であれ、彼らは総じて「体系」の構築に喜びを感じるのであり、それまで無関係であったテーマが結びつくことに一種の芸術的価値すら見いだすのである。無論そうした学問的美しさ以上に、異テーマ統一による相乗効果が研究成果を一気に加速するという実利がより重要なのだ。
 谷山の予想はその後志村の手によってより厳密な仮説へと組み立てられ、「谷山=志村予想」として学会へと広がり専門家を仰天させながらも次第に有力な仮説として認知されていったのである。しかし、その一方で誰もそれを証明出来る人間はいなかった。数学者達の多くはこれもまたフェルマー予想と同様に証明不可能なものと考えていた。

 ところが、その後「谷山=志村予想が正しければフェルマー予想も正しい」という驚くべき事実が明らかになるのである!
 その事実を友人宅で聞いたアンドリュー・ワイルズは封印していたフェルマー予想の証明へと本格的に取り組む決意をする。フェルマー予想を証明するには谷山=志村予想を証明すればよい、しかも谷山=志村予想は自分が専門として選んだ楕円曲線論に関するものなのだ!
 すぐさま証明に取りかかるワイルズであるが、難題の連続であった。彼は徹底した秘密主義を貫き約7年間孤独な闘いに没頭した。彼が谷山=志村予想を証明するのに用いたツールが、数学史に劇的な一頁を残した19世紀フランスの天才エヴァリスト・ガロアによる群論に関する研究であった。難解を極める彼の研究は全てが極秘に進められた。
 
 1993年6月23日、ケンブリッジのニュートン研究所において行われた研究集会において、ワイルズは三日間に渡り「世紀の講演」をすることになった。彼の題目は「モジュラー形式、楕円曲線、ガロア表現」であった。ただし、この講演の最終目的を知っている人物はほんの一握りに過ぎなかった。
 一日目、二日目と講演が終了に近づくに連れ、参加者達から「もしかしたら...」という噂が飛び交い始めた。
 講演三日目、20世紀最大の数学事件の噂を耳にした参加者達で講演会場内は満杯となり通路にまで人が溢れる始末となった。講演の終わり間際、研究所長が取り出したシャンパンによってその噂が事実であることを誰もが確信した。
 ワイルズが最後に書き記した公式、それは紛れもないフェルマーの最終定理であった.....

 この歴史的講演の後、ワイルズの証明は一カ所不完全な部分が発見され、彼はその完全な証明を成し遂げるまでさらに2年間の苦労を費やす事になる。この時発見されたエラーは実はかなり深刻で一時期はワイルズ自身絶望しかけた程であったが、彼は最後まで諦めずついに1995年この歴史的証明を完成させたのである。
 こうして、17世紀に一人の悪戯好きな学者が謎をかけ、その後3世紀以上に渡り多くの数学者達を巻き込んだ大問題は決着をみた。たった一つの問題がこれだけ多くの天才達を夢中にさせてきたのだ。
 この物語に登場した数学者達の人生はどれもが波乱に満ちている。卓抜した才能と独創性で世界に誇るアイデアを生み出しながらも突如自殺してしまった谷山。その谷山の予想を必死の努力で完成させた志村。あまりに革新的であったため同時代では誰も彼の理論を理解出来なかった悲劇の天才ガロア。
 謎をかけたフェルマー本人は果たしてこれほどのお祭り騒ぎを予想していたのだろうか?
 
 .....というわけで、「フェルマーの最終定理」如何でしたか?
 人々の関心は歴史そのものよりむしろ個々人に向けられるのが常でありますが、私はこのフェルマー最終定理を巡る物語を読んだ時ほどそのことを実感した事はありません。

ヤマトファンの独り言

初っぱなからドグマ唱えて恐縮ながら、「宇宙戦艦ヤマト」は日本のアニメ作品中でも最高傑作だ!
ヤマト以降、確かに「機動戦士ガンダム」や「あしたのジョー2」、さらには「銀河英雄伝説」といった世界に誇れる名作はいくつかあるのだが、ヤマトはその先陣を行く作品なのだ。
昨年末に公開された「復活編」、そして今年公開される「実写版」と、ヤマトは今ちょっとした旬だ。
しかし、なぜ今頃ヤマトなのか?
その答えは恐ろしく簡単で、現代ではまともな新作を生み出せるクリエーターはもはや存在しないからである!
小説、映画、音楽、そしてアニメと現代の作品群を一瞥してみればその絶望的状況は明らかなのだ。



いや~やはり最高!
ヤマトはもちろん、沖田艦、デスラー艦、そして艦載機ブラックタイガー等メカデザインの出来映えは完璧!
人物描写も実に巧みで、当初はやたらにけんかっ早くて無鉄砲だった古代が成長していく様、そしてそれを支える脇役達の重厚さは一流の文学小説に比肩すると言って良い。
ヤマトシリーズはまた作品を飾るBGMがどれも充実していて、後に「スペースオペラ」と称される銀河英雄伝説に先駆ける一面も持つ。誰もが知っている有名な主題歌もアニメ史上指折りの名曲と評価されるだけの事はあり、あのメロディーを聴くだけで震えるような高揚感を持つ大人は私だけではあるまい。

理系離れが深刻化する昨今の日本であるが、「宇宙戦艦ヤマト」で育った我々世代は理系オンチの人間は存在しない。
アインシュタインの「閉じた宇宙論」を始め、「タキオン粒子」「反物質」「ニュートリノ」こういった用語が次々飛び出すヤマトは我ら幼少期の科学的好奇心を存分に刺激したものだ。
そういえば、科学オタクを集めていたオウム真理教が使っていた空気清浄機に「コスモクリーナー」という名称を付けていたという負のエピソードも記憶に新しいが、彼らもヤマトで育った世代であった。

ストーリーとしては、これは正直言って思想的に受け入れられないという人も多いに違いない。
ガミラスは明らかにビジュアル面においてナチスをイメージしている。
しかし実質はどうみてもアメリカ軍だろう。
圧倒的な物量そして技術力を持つ巨大軍事国家ガミラスが使用する兵器は放射能をまき散らす「遊星爆弾」であり、そのガミラスに反抗すべく建造されたのが戦艦「ヤマト」なのだ。
もちろん、この作品が反米感情を意識して作られたものではないことは明らかだが、少なくとも私等の世代ぐらいまでは大東亜戦争で祖父等日本人が味わった不条理な屈辱感は未だ知識としては残っている。
大艦巨砲主義という時代遅れのイデオロギーを最後まで払拭出来ず、また既に巨額の国家予算を投入していた故についに引き返す事が出来なかった戦艦大和プロジェクトが辿った哀れな末路には、「男のロマン」という安っぽい言葉以外に語るものがないのか?
しかし、一見すると非合理的で悲しいほど刹那的な末路を辿った戦艦大和はどうしてもこうも私の胸を打つのか?
それはおそらく私が「日本人」だからなのだろう。



さて、かように宇宙戦艦ヤマトを愛してやまない私も流石に復活編には全く興味がなかった。
松本零士のタッチしていないヤマトに何の価値があるか!
CGで描いたヤマトなんぞ観たくないわい!

などという生意気な考えの下、当然劇場へも行かなかったが、これについては正直少し後悔している。
いみじくも岡田斗司夫氏が「復活編ヤマトを観ることは税金を払う義務のようだ!」と主張したことにすっかり感服してしまい、「最後までヤマトにつきあうぞ!」「それが大人になるということだ」と言う言動にひたすら自らの器の小ささを実感してしまったのであった....
当初の予測通り映画の出来としてはトンデモない物らしいが、DVDが出たら観よう(買わないけど)!

但し、 実写版だけは絶対に許せん!

グラントリノ

さて、暮れの激務によって疲れはてた体をゆっくり癒す暇もなく元旦から働きづめの可愛そうな私。
結局どこにも出かける時間などないので、せめてもの娯楽に久々にレンタル店にて映画を借りて観たのです。

今回借りたのがこれ、グラントリノ!



私はあまり映画通ではないので、この映画も少し前に話題になったのを知っていた位でして、どんな映画なのかも殆ど知らずに気まぐれで観たのです。
しかし、観た感想。
ズバリ名作です!
この映画の印象は「現代のアメリカに取り残された古き良きアメリカ」という所でしょうか?(あくまで私の受けた印象です、ハイ)

何せ主人公の名がコワルスキー。いかにもスラブ系といった感じの元フォードの組み立て工。
今は迂遠になっている息子がトヨタの営業マンという皮肉な設定がまず面白い!
自動車組み立て工などというと、日本ではさほどリッチなイメージを持たない職業だが、かつてのアメリカでは違う。
先日のGM倒産の要因が元従業員のレガシーコストにあった事からも分かるように、アメリカの自動車組み立て工は日本より遙かに高給で、手厚い福利厚生に恵まれた豊かな職業だったのだ。

さて、既に妻には先立たれ、後は悠々自適な余生を過ごす事を目論んでいたコワルスキーであるが、ある日隣に突然引っ越してきたモン族の一家によってその目論みは些かの修正を受ける羽目になる。
言わずもがなではあるが、この映画の監督兼主人公のクリントイーストウッドは共和党リバータリアン。
ダーティハリーのイメージを地で行く彼の思想は徹底した個人主義であり、かつ自分の身は自分で守る!というポリシーはこの映画でも随所に表現されている。

伝統的頑固保守親父達の多くがそうであるように、この映画の主人公コワルスキーも人種差別主義者であることを隠そうとはしない。
街へ出かければめっきり白人層の姿が減り、目につくのはスパニッシュ系、黒人、アジア系人種ばかり。
久しぶりにかかりつけの病院へ訪ねると、以前の主治医はすでに病院を退職し、新しく赴任してきた医師は若い中国人。
すっかり変わってしまったこの国の様子に彼はことある毎に愚痴をこぼすのであった。

そんな彼であるから、隣に越してきたモン族の家族達にも当初からあからさまに嫌な態度をとり続けるのであるが、その後不本意ながらも巻き込まれる様々な騒動を経て、彼らとの間に不思議な友情が芽生えていく.....
彼らと共に過ごすにつれて、自分の遺産にしか興味のない身内よりもそれまで毛嫌いしていたモン族達の方がずっと大切な存在になっていく描写は、嫌みやわざとらしさがなく、自然に感情移入出来る。
こういった演習はイーストウッドの以前の監督作「ミリオンダラーベイビー」でも感じたが、本当見事!の一言。
やがて、大きなトラブルへと巻き込まれるモン族の少年とその家族を救うべく、単身で武装し悪党の元へとはせ参じる姿は正にダーティー・ハリーの復活!といった所だ。
しかし......かつてのダーティー・ハリーのように悪党共を撃ち殺して一件落着、という結末を期待してはいけない。
主人公コワルスキーの闘い方はハリーとは全く違った方法をとるのだ。
戦う方法は一つではない。ハリーの闘う目的が悪を抹消する!点にあったのに対し、コワルスキーのそれはあくまで奇妙な「友人」を守る為であった。

ラストシーンで彼の愛車グラン・トリノが走るシーンは、やはり「ミリオンダラー・ベイビー」でイーストウッドが一人でレモンパイを食べるシーンと重なりなんとも切ない。
保守の人というのは、結局「想い出を引きずる人」なのではないか?
変わっていくことがまるで過去の記憶を消されてしまうことのように思えるのかもしれない。
だからこそチョイスできる物をあえて最小限にし、一度選んだ物には最後まで責任を持ち大切にする。
少なくとも主人公コワルスキーはそんな男である。

FELIZ ANO NOVO!

明けましておめでとうございます!

昨年末よりPCが壊れまして、時々しかウィンドウズが立ち上がらない状況に陥ってしまっています!
立ち上がっても5~10分くらいでフリーズしてしまうといった状況でほとほと困り果てているのです。
今現在は幸い正常に機能しているのでせめて新年のご挨拶くらいは書きたいなあ~と思い立ち、久々にブログ書いてみました。
何とか書ききるまでPCがフリーズしないことを祈りつつ....

昨年は自分にとっては本当にろくな事がない一年であり、そしておそらくは今年もまたろくな事はないのでしょうが、それでも夢だけは沢山ある私カカセオであります^^
ともかく、良い一年にしましょう!

Que as suas vidas sejam sempre repleta de alegrias !

«  | HOME |  »

プロフィール

カカセオ

Author:カカセオ
年齢・性別不詳。
使用する言語は日本語・ポルトガル語。
「美しい人生とは?」を常に追い求めています........
歴史の話、語学の話が大好きです。

銀河英雄伝説名言録



present by 田中芳樹:徳間書店「銀河英雄伝説」

FC2ブログランキング

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。